みなさま、今、幸せですか?
このブログで「普通の人生」を目指す理由として、それは「幸せになるため」でもあります。
「普通の人生」は「幸せになるため」の手段の1つに過ぎないということです。
そして普通の人生が幸せである、ということを理解する心が必要です。
今回は幸せになるために必要な考え方である、著書「7つの習慣」に出てくる「豊かさマインド」についてご紹介したいと思います。
幸せとは主観的なもの
幸せとは主観的なものです。
例えば、新しい服を手に入れる幸せと感じる人もいます。
一方で、新しい服を買ったところで着れればなんでもいいと、さして幸せを感じない人もいます。
このように人によって幸せの基準は違います。
おそらくほとんどの方はポケモンカードの「コイキングLv.10」をもらっても全く幸せを感じないでしょうが、一部の人はそれはもう家宝にするぐらい喜ぶでしょう。
それぐらい幸せは人それぞれです。これは理解しやすいかなと思います。
幸せとは相対的なもの
一方で、幸せとは相対的なものでもあります。
例えば、資産10億円持っている人がいたとしましょう。
高層マンションに住み、高級車を乗り回しています。
幸せに見えますよね。
でもお金持ちたちが集まるパーティに参加したとしましょう。
いや~この間気に入ったリゾートアイランドがあってね!50億円で買えるっていうから即決しちゃったよ!
いいですね。私もこの前最新の100億円で買ったプライベートジェット機があるからそれで遊びに行かせてもらいますね!
・・・・・・
こんな会話の中にいたとしたらどうでしょう?資産10億円の人は幸せを感じられるでしょうか?
おそらく難しいでしょう。
このように、幸せには相対的な面もあります。
幸せを感じにくくなった現代
昔はインターネットに誰もがアクセスできる訳ではなく、狭い世界で完結しておりました。
子どもの頃は、クラスで一番足が速いとか、セレクトバグを最初に見つけたとか、きれいな石を見つけたとか
昔はちょっとしたもので幸せを感じることができました。
大人でもちょっと高級な車とか、ちょっと高級な腕時計とか、広い庭だったりとか
自分の周りでちょっと良いものを持っていれば十分幸せになれました。
しかし、今はインターネットのおかげで、簡単に世界中の情報にアクセスできるようになりました。
なので、多少足が早くても、日本中、世界中にもっと足の速い人をすぐ見つけられちゃうし
せっかく見つけたセレクトバグも、とっくの昔に発見されている技だったりします。
がんばって働いて買った高級車や腕時計も、YouTubeに出てくるインフルエンサーの前ではかすんで見えてしまいます。
世界がインターネットを介して見えるようになったことで、無意識でも比較してしまい、相対的な幸せを感じづらくなってしまいました。
自分が幸せであると感じていないと、人を幸せにすることはできない
自分がお腹が空いているときに、もらった食べ物を人に渡せないように、
自分が幸せでない時は、人を幸せにはできないんですよね。
確かに、簡単に情報を得られる現在、相対的な幸せを掴みにくくはあります。
しかし、環境こそ時代と共に変わって行っていますが、人の能力は昔も今もさほど変わっていません。
なので、考え方次第で、昔のように幸せであると考えることができます。
まずは自分が幸せであると理解することが必要です。
自分が幸せだと思える「豊かさマインド」
豊かさマインドとは?
豊かさマインドとは「この世にはすべての人に行きわたるだけのものがたっぷりある」という考え方です。
もう少し簡単にいうと、豊かさマインドとはものごとの「ある」と考えることです。
先ほどの例ですと、たとえ世の中には自分より足の速い人がいたということがわかっても、そのクラスで一番足が速いという事実は変わりません。
その上で、陸上選手を目指したいと思うのであれば、より足の速い人から学ぶ機会がありますし、
ただ単に足が速い事実として、卒業までクラスで一番速いキャラ(運動会で勝つなど)で過ごせば良いのです。
豊かさマインドには反対の考えもあり、欠乏マインドと言います。
「この世には限りがあり、すべての人に行きわたるほどのものはない」という考え方です。
こちらも簡単に言うと、自分が幸せになるためには「あれさえあれば、これさえあれば」とものごとを「あれば」で考えることを言います。
先ほどの例ですと「世界一足が速ければ人気者になれるのに」「誰もセレクトバグを見つけてさえいなければ」といった感じです。
多くの人は無意識のまま欠乏マインドへ引っ張られる傾向にあります。
- いい就職先さえあれば
- いい出会いさえあれば
- 子どもがもうちょっと勉強してくれれば
- メンタルがもう少しあれば
- お金さえあれば
- 良い上司さえいれば
- もっといい時代に生まれてさえいれば
こういうものですね。
ぎくっとした人も多いのではないでしょうか?
豊かさマインドを得るには考え方を変える
ようやくタイトル回収になります。
今の時代に生まれたことを不幸と感じる人もいますが、本当に不幸でしょうか?
今の時代に生まれたことを豊かさマインドで考えてみましょう。
税金の話
私がまだ若かったころの話です。
年金高い〜払いたくない〜
昔はもっと税金安かったんだろ?マジ生まれる時代悪かったわ〜
私も昔思ったことがあり、母とこんな会話をしたことがあります。
ねーねー
昔は消費税もなかったし、年金もこんなに高くなかったんだよね?
いいなー
昔はあんたの好きなパソコンもインターネットも液晶テレビも新幹線もなかったけど、その時代の方がよかった?
うーん、そう言われると今のほうがいいなぁ
これはなるほどな、と思わせられました。
ガジェット好きの私ですが、仮に今「明日から税金払わなくてもいいよ!でもスマホやガジェットは一切触れなくなるよ!」と言われたら、私は税金を払ってでもスマホやガジェットのある世界を選ぶと思います。
母は若い頃、ディズニーランドに行きたかったそうですが
昔は週休2日制じゃなくって、有給休暇も取れるような時代ではなかったのよ~
今の若い子が気軽にディズニーランド行けるのが羨ましいわ~
とよく言っています。
(ちなみに、定年を迎えた母は、今では年一ぐらいでディズニーリゾートに遊びに行っています。とても楽しそうです笑)
恵まれた平成時代
- 明治:日清戦争
- 大正:第一次世界大戦
- 昭和:第二次世界大戦
と、なじみのある和暦年号の時代でも頻繁に戦争をしています。
平成はどうかというと・・・物資補給や資金援助で間接的にはイラク戦争などに加担はしていますが、日本の国土内は平和そのものでした。これは日本史史上初です。
今、私たちが過ごしている平和な日々は、多くの先人たちが夢見た喉から手が出るほど欲しかった日々だと思います。
祖父(1932年生まれ)もよく
わしらが小さい頃は卵が食べられなくてな、タンパク質不足を補うためにスズメを捕まえて焼いて食べていたよ。
と言っていました。
祖父は卵が安価に食べられるようになってからは毎日食べていました。
100年前はまだ日本も戦争してたし
そもそもまだ「日本」じゃなくて「大日本帝国」でしたからね。
税金・年金に対する私の考え方
確かに税金はどんどん高くなっています。
消費税・所得税・住民税・固定資産税・相続税・法人税などなど
少なくとも私が生まれてから税金が下がったことはないです。
でもですね、逆に考えてみると
お金と人間関係以外で困った経験ってないんですよね。
- 明日食べるものがないとか
- いつ空襲がくるかわからないとか
- 拒否できない徴兵が待っているとか
- 結婚相手が決められているとか
- 言動が封じられているとか
- 移動が制限されているとか
- 働く場所が選べないとか
- 勉強が禁じられているとか
- 着る服に制限があるとか
思い返しても、やっぱりお金と人間関係以外で困った経験はないなぁと思います。
- 安全な水が蛇口をひねるだけで出てくる環境になりました。
- 1時間働けば安全な食べ物1日分を稼げる環境になりました。
- 119に電話するだけで十分な医療を受けられるような環境になりました。
- 希望すれば身分を問わず無料で全員が高等学校まで通えるようになりました。
- インターネットが整備され、1人1台スマホを持てる時代になり、いつでも誰でも勉強しようと思えば勉強できる環境になりました。
- 生まれに関係なく、大学を出れば新卒カードがもらえて、自分が就職したいと思う会社にチャレンジできるような環境になりました。
- 家柄に関係なく、結婚相手が自分で選べるようになりました。結婚するしないも選べる環境になりました。
- ほとんど全ての人に求人が用意できる環境になりました。
- 名前を知らない人とでも、安全に会うことができる環境になりました。
昔の人からすれば「運要素がこんなに減ってる!あと自分が頑張るだけじゃん!」と思われちゃいそうです。
年金は相続税なのかもしれない
年金はね、未来の自分たちのためじゃなくて、今年金をもらう人に払ってるんだよ
昔、母が教えてくれました。
この意味がようやく分かった気がします。
あくまでこれは私個人の考えですが、年金は「先人たちの紡いできた公共財産へ払う代金」だと思っています。
交通、水道、電気、通信をはじめとしたインフラ。
医療、安全、平和、そして自由。
これらは決して自然に湧いて出たものではありません。先人たちが未来のために創ってきたものです。
それらが本当に必要なものであれば、対価を支払うべきかなと思います。
もし先人たちが本当に何もしてきてなかったのなら、
もし戦争に負けたあと、なんの努力もせず戦勝国の言いなりになっていたとしたら、
おそらく健康皆保険制度も年金制度もなかったでしょう。
私たち世代がもし年金をもらえないとしたら、それは次の世代の子たちに何も残してやれなかった結果、何も相続できなかった結果である、と考えるようになりました。
「自分は莫大な公共財産の相続人である」
年金はこの莫大な公共財産の相続税なのかもしれません。
まとめ
幸せとは主観的かつ相対的なものです。
スマホが普及し、どこまでいっても自分より上がいることを感じてしまうため、相対的な幸せを感じにくくなってきました。
有名インフルエンサー、億万長者、人気声優、Vtuber、人気芸能人
普段関わることのない人ともSNS上で簡単に繋がれるようになりました。
その中で、自分が幸せになるためにはどれだけ何が必要であるかを見極める力が必要になってきました。
- ほんとにその量のお金が必要?
- ほんとにその量のフォロワー数が必要?
- ほんとにその量のいいね!が必要?
- ほんとにその量のやりがいが必要?
- ほんとにその量の自由が必要?
あればあるだけ欲しい、と思っているとどんどん精神が疲弊して心が疲れてしまいます。
自分が幸せになるために本当に必要なものは何で、量はどれくらいなのか、考えてみましょう。
そして、自分の必要なだけ手に入るよう努力し、幸せを手にしましょう。比較すべきは過去の自分です。
豊かさマインドを身に着け、この世にはすべての人に行きわたるだけのものがたっぷりある、と考えるようにしてみましょう。
豊かになると四葉のクローバーばかりを追い求め続けがちですが
荒れた地面にはクローバー自体が顔を出してくれません。
足元に広がる三つ葉のクローバー、その本当の意味に気づける豊かさマインドを身につけましょう!
それでは!みなさまが幸せな人生を送れますように。